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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)10661号 判決 1983年9月27日

原告 甲野春子

右訴訟代理人弁護士 秋根久太

被告 乙山松子

右訴訟代理人弁護士 宮沢邦夫

右同 藤本博史

主文

一  原、被告間において、別紙物件目録記載の不動産は、原告の所有であることを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  別紙物件目録記載の各不動産(以下「本件土地・建物」という。)は訴外亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)の所有であった。

2  亡太郎は、昭和三五年一二月一四日死亡した。

原告は、亡太郎、同人妻甲野花子との間に、昭和二三年八月一三日、養子縁組の届出をなした。

3  原告は、亡太郎死亡後たる昭和三五年一二月一四日より、その相続人として本件土地・建物の占有を始めたが、

(一) 右占有の始期にあたり、戸籍の調査等はしなかったものの、被告とは当時より何らの交際もなく、他に相続人が存在するとは一切聞かされていなかったもので、相続人が原告一人であると信じたことについては過失がなかったものであり、その後、右の日から既に一〇年を経過した。

(二) たとえそうでないとしても、右の日から既に二〇年を経過した。

原告は本訴において右時効を援用する。

4  以上の如く、原告は、本件土地・建物について、取得時効によりその所有権を取得したが、被告はこれを争うのでその確認を求めるものである。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因第1、2項は認める。

2  同第3項は否認する。

三  抗弁

1  (悪意)

原、被告間の身分関係は、別紙身分関係一覧表記載のとおりであり、被告は亡太郎の長女一枝の長女であり、右一枝が昭和一一年四月一〇日死亡したので、亡太郎の代襲相続人であり、同人の相続財産について原告と被告は共同相続人であるところ、原告の生家と亡太郎とは親戚であり、原告が養子縁組をするに当っては、亡太郎の身分関係については十分知悉していたものであり、縁組後は亡太郎や同人の妻花子から亡太郎の身分関係については聞かされていたはずである。

2  (所有の意思の否定)

相続財産である本件土地・建物は、原、被告の持分各二分の一の共有に属するものであり、相続は占有の性質を変更する新権原ということはできないから、原告の占有をもってその本来の相続持分を超える部分について所有の意思をもってなされたということはできない。

そして、共同相続人の共有に属する相続財産たる不動産につきそのうち一人による単独の自主占有が認められるのは、その者に単独の所有権と信ぜられるべき合理的な事由という例外の場合であるところ、亡太郎の身分関係は戸籍の記載を辿りさえすれば、一目瞭然であり、且つ前項記載の如く原告は、被告の存在することを従前より知悉していたものであって、右の例外の場合には該当しないものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項のうち、別紙身分関係一覧表記載の知き身分関係があることは認め、その余は否認する。

2  同第2項は否認ないし争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因第1、第2項の事実及び抗弁第1項のうち原、被告及びその親族関係が別紙身分関係一覧表記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

二  そこで、本件土地・建物につき、原告に取得時効が成立するか否か争いがあるので、検討するに、《証拠省略》によれば、原告は父丙川松夫、母竹子の間の二女として生まれ、母竹子が原告が三歳のころ死亡したため、父が後添えに貰ったウメ(梅子と称した。)を継母として成長して来たところ、昭和二三年一月ころ、ウメの父甲野松五郎の実弟である亡太郎と同人の妻花子との間には実子がなく、花子の身内である甲野夏子が亡太郎夫婦の養子となっていたが、同女が亡太郎の下を離れてしまったため、たまたま親戚筋にあたる原告が亡太郎夫婦の手伝いに来ていたことから原告が右夏子の跡を引き続ぐように亡太郎夫婦の養子となった。

その後、原告は、昭和二三年一二月に甲野春夫と結婚し、亡太郎夫婦らと四人で暮らしていたが、昭和二六年一月二三日に花子が死亡した。その際花子の相続財産の処理は夫である亡太郎が一切これをなしたが、その一部の不動産は税金の関係からか原告に相続されたことにし、同年五月一四日に所有権移転登記手続が了された。

そして、亡太郎も昭和三五年一二月二四日死亡するに至ったが、原告はかつて亡太郎から、亡太郎が花子と婚姻関係に入る前に戊田家に養子に行き、花枝と夫婦となり、一子をもうけたことや、その後花枝と離婚したなどということは聞いたこともなく、また他の者からも右の事情を教えられたこともなかったし、従前から被告とは何らの交際もなかった。

このため、原告は亡太郎の相続財産の処理については原告以外に相続人が存在するなどということは思いもしなかったため、あえて亡太郎の戸籍を調査することなく、原告が唯一の相続人であるということで昭和三六年七月一三日には五七万七四〇〇円の相続税金額を原告の夫春夫が原告の名義で納付した。(実際の手続は春夫がこれをしていたものである。)

また昭和三五年当時、本件建物のうち一棟は原告一家の住居用とし残り二棟を賃貸していたが―現在は一棟は原告夫婦、一棟を娘夫婦、残り一棟を賃貸している。―本件土地・建物の管理や家賃の収集は原告が行って来ており、家賃収入でもって、本件各不動産に課かかる公租公課を支払ってきた。

ところが、昭和五七年になって本件土地を売却するにあたり司法書士から登記上所有名義が亡太郎になっているのでこれを変えなければならないが、亡太郎の戸籍簿を調査してみると被告が相続人に該当するのではないかと言われ、初めて被告の存在を知った。

そのため、同年四月二六日、原告の仲方に立った大久保測量士の家で原、被告らが面談し、相続財産の配分について協議したが、結局物分かれに終ったこと等の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上の事実よりすると、原告は亡太郎の死亡した昭和三五年一二月一四日より現在まで本件土地・建物を管理し、占有してきたものであり、その始期において原告が、相続人は原告一人であると誤信したことも無理からぬ状況下にあったと言えるものである。また自主占有の点については、成程相続は占有の態様を変更すべき新権原とはいえず、共同相続人の一人のみが相続財産につき現実の占有をしているからといって、その全部につき自主占有をするものではないと解すべきではあるが、共同相続人の一人が、単独に相続したものと信じて疑わず、相続開始とともに相続財産を現実に占有し、その管理、使用を専行してその収益を独占し、公租公課も自己の名でその負担において納付し、これについて他の相続人がなんら関心をもたず、異議も述べないという事情がある場合は、相続のときから相続財産につき単独所有者としての自主占有を取得したものというべきであり、(最判昭和四七年九月八日第二小法廷判決民集二六―一三四八)本件においては、右認定事実よりするならば、原告は自主占有を取得したものと判断され、結局被告の抗弁はいずれも理由がないもので、原告は占有の始期たる昭和三五年一二月一四日より一〇年を経過したことにより本件土地・建物についての所有権を取得したものである。

よって原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩田嘉彦)

<以下省略>

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